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完璧な赤

完璧な赤

完璧な赤

「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語
エイミー・グリーンフィールド、佐藤桂 訳(2000円) 早川書房(2006)


読みどころ

現代生活には色彩があふれ、私達は鮮やかな色の衣服を身にまとうことに何のありがたみも感じません。しかし500年も前にはヨーロッパですら鮮やかな赤い衣服をまとうことは容易ではありませんでした。赤い色の衣服は高位の王族、貴族、聖職者、富裕な商人など特権階級のシンボルだったのです。しかもその赤は褐色に近いもので鮮やかさに欠けたものでした。ところが新大陸の発見以後、それまで旧世界に知られていない、多くの物産が流入することになります。その中の一つがコチニールという赤い染料です。これはそれまで知られていた染料のどれより鮮やかな深い赤で、色落ちしない優れものでした。織田信長が着用したという赤いビロードのマントも南蛮渡りのものであったに違いありません。

染色工場 赤いドレスを着る貴婦人


この染料はスペインに滅ぼされたアステカ帝国(現メキシコ)では古くから生産され流通していたものでしたが、当初スペイン人はこの価値に気付かず、その正体を確かめようともしませんでした。アメリカになだれ込んだスペインの荒くれ男たちは金銀や宝石にしか目がなかったのです。
コチニールとは、現代では観葉植物として、どこでも目にするウチワサボテンに着く害虫、カイガラムシ(雌)を乾燥させたものです。驚くべきことはアステカ人は自然に着く野生のカイガラムシをそのまま採集していたのではなく、数百年あるいはそれ以上の年月をかけ染料成分をたくさん含む虫に改良選抜し、あたかも東洋の蚕のようにコチニール農場で商業生産していたことです。このカイガラムシは生育条件が狭く、細かい飼育作業が必要だったので現地でも大規模生産ができず、高価な農産物であり続けました。植物を育てる立場からは、カイガラムシはいくら駆除しても退治しきれないシブトイ害虫ですが、コチニール農民には冨をもたらしてくれる『お蚕様』ならぬ『カイガラムシ様』だったのです。

ウチワサボテンからのコチニールカイガラムシの採集
ともあれスペイン人による再発見、ヨーロッパへの導入後、百年もたつとその価値は明らかになり、その入手に列国は狂奔するようになります。ところが、カイガラムシは大きさが小さく(1~3mm)、しかも乾燥すると更に収縮、変形するので、それが何に由来するものかがわかりませんでした。木の実であるのか昆虫であるのか、長い論争が行われた揚句、それが昆虫であると結論されたのはなんと1726年です。現地に行って見ればすぐわかりそうなものですが、実はスペインは冨の源泉であるコチニールを厳しく管理し、外国人を近付けないようにしていたのです。それだけではなく、汗をかいて働くことが嫌いなスペインの支配階級はコチニールの生態を解明して更に生産を増やすより、現地人から収穫物を手っ取り早く収奪する方を選んだのです。正体が分かってしまえば、コチニールの需要が増加するにつれ、列国はなんとか、そのカイガラムシを生きたまま持ち出して自分の植民地に移植しようとしたのですが、なかなかうまくゆきませんでした。ウチワサボテンとコチニール・カイガラムシの生育環境条件は非常に狭く、他のプランテーション作物のようなわけにはゆかなかったのです。転機はメキシコのスペインからの独立(1822)以後、スペインの独占が崩壊した後に訪れました。同じ中米ニカラグアでもコチニール生産が始まり徐々に世界各地に拡散していきました。ところが、皮肉な事にこれに立ちはだかったのが化学の勃興です。コチニール赤はイギリスのパーキンによるモーブ(最初は紫に近い赤)の発明(1857)をきっかけに、安価に石炭から大量に作られる化学染料に市場を奪われててゆきます。
いやはや、コチニールをめぐる何世紀にもわたる大騒ぎは何だったのかと思いますが、それでもコチニールの素晴らしさが、代替品を作ろうとする意欲をもたらしたと考えれば、その意義は十分にあったと言えるでしょう。観葉植物の嫌われ者”カイガラムシ”も、この文脈の中で読めば見方も変わるのではないでしょうか。

レーウェンフックが1704年に顕微鏡で観察したカイガラムシ

見どころ

最後にこの本のちょっとした見どころを指摘しておきます。これはもちろん著者さえも気づいていないことです。上にある、カイガラムシの図は顕微鏡の発明者オランダのレーウェンフックが発表したものですが、これは彼自身が描いたものではありません。友人の画家に依頼して描いてもらったものだということです。レーウェンフックは90歳を過ぎるまで顕微鏡観察を続けましたので協力した画家も複数に上ります。その画家についていくつかの推測がなされています。これについて生命学者、福岡伸一博士は興味深い仮説を発表しています。その初期の観察においては、有名なフェルメールがその一人であったのではないかというものです。考証の詳細は本をお求めになってお読みください(フェルメール光の王国)。このカイガラムシの図については、1704年にイキリス王立協会に送られたものですから、おそらく1675年に亡くなったフェルメールによるものではないでしょう。それにしても当時の図は写真よりも立体的で特徴をよく捉えて描かれています。おそらくフェルメールのような一流の画家に依頼していたためにレーウェンフックの図は科学的にも非常に価値あるものになっています。道を極めた芸術家には、事物の本質まで見えているという、深い感動を覚える一葉です。